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By mare*i, 2012- 05-17 (木) 08:41:21
良い家の人だとか良い家にお嫁に行く人だとか
そういう人達を見ていると共通するのは
意思の力や、自制心の強さ。
そういう夫婦が子育てすると
やっぱりそういう子供が育つので
結局それが代々引き継がれるんだろうな、と。
周囲の子育て見ていて思うこと。
なんというか「気合い」が違うんだよね。
何事に於いても「気合い」と「覚悟」が違う。
「気合いや覚悟」って言っても
そんな肩肘張ったものじゃなくてね。
外に出すものは穏やかで柔らかいんだけど
内の「気合いや覚悟」が人並み外れて凄い。
それはそれこそ生まれた時からの
日々の生活で自然と養われているものだから
ちょっとやそっとの付け焼き刃では
どうにも出来ないものがあるよね。
そういうの見てると
成功の法則が何だとか
波動が何だなんてのは
殆ど関係無かったりするのね。
ツイてたって、運が良くったって
意思と自制心の強さが無くては
一時は楽しいかもしれないけど
総合的に見ると意味は無いような気がする。
それと共通しているように見えるのは
其々の家の信仰的なものを
ごく当たり前にとても大切にしているし
家のお年寄りを当たり前に大切にしてること。
それからちゃんと「観てくれる」人がいる人も多い。
占い的なことを利用はしても
深入りせず振り回されずに割り切って
上手に使いこなしている感じがする。
色々と開運グッズや開運法はあるけどね
そんな浮ついたものに振り回されるよりは
とりあえず
意思の力と自制心を養うことから始めるのが
最終的には一番の近道な気がする。
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By mare*i, 2012- 05-16 (水) 09:04:51
5年前に霊気の伝授を受けた時に色々な出来事があって
色々と色々と気になることがいっぱいあって
5年間、ずっと調べたり考えたりしています。
その中で「霊気」が出来た明治時代の霊術関係のことを調べていて
どうして「霊気」だけが生き残って
これだけ広まったのかな?というのが疑問でした。
色々な霊術系、手かざし系の団体が
出来たり、消えたり、残ったり、していますが
それぞれ根本的な部分で何が違うかといえば
「思想」なんですよね。
元々の元々を辿っていけば同じものなんですよ。
世界が成り立つ元素は
人を構成している元素は
皆等しく同じなのだから。
ただし人間が同じ物質で出来ているとしても
人は誰1人同じではないというのは
その違いを作るのは
「人格」であり「精神」であり「意思」であり
人から発せられるエネルギーは
それらの違いに大きく左右されるもの。
エネルギーはエネルギーに過ぎないのというのは
ある意味においては正しいのだけど
そこにあまりに引きずられてしまっては
見落としてしまうものがある。
バランスなのですが
情緒的なものや神秘的なもの
そういうものに偏り過ぎるのも
客観的で正確な判断を損なうのだけど
だからといって
情緒的なものは神秘的なものが
全く必要無いというのは極論で
それでは大切なものを見失う。
例えば私が大嫌いなのは「タントラ」というものへの勘違い。
全員が全員間違ってるとは言わないけど
分かってる人がどれだけ居るのかといえば
殆ど居ないのだと思う。
「◯◯は本来素晴らしいものだ」と言っておいて
実のところ、それを言う人が
その、何が、本当に素晴らしいのかを
知らないのはよくあること。
浅はかな理解で
人と人との関わりの中の
最も根源的で大切な関わりを
単なるエネルギーの実験道具としかみないような
浅はかな勘違いに耽溺して泥溺して
人と人との関わりの「本来」を見失う。
万物に流れるエネルギーは
その原初は単なる物理的な物質的なものかもしれないけど
人を介する時に決して「それだけ」ではなくなるんだと
人だけじゃなくて
精神を持つものを介した時に
それらは「それだけ」ではなくなるのだから
問われるのは
どこまで深く共感して同調できるだろうかと。
深い共感と
深い同調に
何が必要かと言うこと。
自分が自分でありながら
それらを成し遂げるために
何が必要かということ
こうやって私が書いていることを
どこまで理解する人がいるんだろう?
これを書きながら私は既に
「きっと”あの人”はこれを読んでこのように理解するだろう」
と分かってしまう。
その人に向けて書くのだけど
「私が言いたいことはそれ”だけ”じゃない。
もう少し違う角度で、もう少し違う方向に向けて書いてる。」
人と人との間に完全な理解は難しい。
それはどこまでも「仕方無い」ものではあるけれど。
でもそれでも理解すること、理解されることを
諦めたくなかったのはどうしてかな?と
自分でもずっと不思議に思っていたのだけど
それこそが霊気に必要なことだったのだと気付いた。
何か足りないと思っていたけど
足りなかったものに気付いた。
そして自分がそれをしたいのなら
どうあるべきかに気付いた。
霊気が作られた時代に比べて
今は随分色々なものが入り込んでいて
簡単にはいかなくなってる部分もあるけど
それらをうまく使いこなすことができれば
それはそれで「今」がプラスに働くんだと思う。
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By mare*i, 2012- 05-12 (土) 04:06:16
マンガの話。
私が今、単行本で買っているのは
「大奥」と「聖☆おにいさん」。
基本的に単行本で読もうと思っているのですが
今月は「大奥」が掲載されてる「メロディ」で
他のマンガ(清水玲子さんの「秘密」)が最終回で
どうしても気になって買ってしまいました(^ ^;
それで「大奥」も読んだのですが
「同じ言葉でも全然違う意味になる」
という話があったんですよね。
話には2人の医者が出てきます
適当な知識と低い志で偽薬を適当に処方して
とりあえず生活費さえ稼げれば良い医者と
勉強にも仕事にも熱心で意識の高い医者。
それぞれが同じ言葉を言うのに
その意味は180度違っているという話。
2人は同じ場所で勉強したというから
もしかしたら同じ先生から
同じ言葉を教わったのかもしれない。
しかし同じ言葉を聞いたとしても
本人のベース次第でその言葉は
全く正反対の意味になってしまう・・・
これが最近、気になってたことと被るんですよね。
たとえば服の流行について。
NHKの朝ドラ「カーネーション」にもその流れが
時々紹介されていたようですが
服の流行はまず一流の「最新のモード」というものが
パリコレや一流デザイナーのショー等で発表され
それが次々に様々なデザイナーの手で再生産されていき
最終的には安く大量生産するメーカーの所に届いて
「世間一般」の人達が着ることになるわけです。
モードが再生産されていく段階で
その元ネタを作ったデザイナーの哲学は
どんどん薄まっていき大量生産される段階では
「とりあえず同じような形を安く作れれば良い」
になって哲学なんて「何それ?」的な状態ですね。
私は以前は建築の設計の仕事もやっていたので
当時からこの事がずっと頭から離れなくて
スピリチュアルに来てみたら
ここもまた同じだと思ったわけです。
スピリチュアルは言葉が殆どを占めていて
言葉も元ネタから末端に流れていく段階で
その意味と意図は果たしてどこまで正確に
再生産されているのかな?と。
業界によって事情は変わりますけどね。
服や建築のデザインにおいて哲学が骨抜きになって
形の物真似だけが再生産されるというのは
実のところ、それほど「毒」にはならないんですよ。
換骨奪胎という言葉があります。
goo辞書 三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より
かんこつ-だったい【換骨奪胎】|〈―スル〉
「換骨奪胎」 意味
古人の詩文の表現や発想などを基にしながら、これに創意を加えて、自分独自の作品とすること。他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと。骨を取り換え胎盤を奪い取って、自分のものとする意から。▽もと、「換骨」は凡骨を取り去って仙骨に取り替える、「奪胎」は胎盤を奪い生まれ変わらせる意で、修練をして根本から仙人に生まれ変わることをいう道家の語。転じて、詩文の創作法として「換骨」は、古人の詩文の意味を変えないで字句を変えること。「奪胎」は古人の詩文の内容・主意を取って作りかえること。今では、他人の作品の一部を作りかえて、新しいもののように見せかける意に用いられることもある。「奪胎換骨だったいかんこつ」ともいい、「奪」は「脱」とも書く。「骨ほねを換かえ胎たいを奪うばう」と訓読する。
よほどのお金持ちやファッションにウルサい人以外は
たいてい換骨奪胎されたデザインの服で満足していて
そのことが人の命や人生を左右することは殆ど無いですし。
スピリチュアルにおける「言葉の換骨奪胎」というのは
長い歴史の中での伝言ゲームで仕方無い場合もあるし
本当に理解力の無い人がやってる場合もあるし
意図的に行なわれている場合もありますよね。
大学等で論文を書く時などには
よほど異色の天才でもない限りは
自分の論理を組み立てるために
先人の論理や研究結果等を引用する必要が
多々出てくるわけですよ。
引用させていただくには「元ネタ」について
いつ誰がそれを記したかを必ず正確に
併記しなくてはいけないというルールもあります。
それを読む人は併記された元ネタを辿り
元ネタから正しく引用され
正しく論理が展開されているかを確認するわけです。
流行りの「スピリチュアル」では元ネタの検証は
相当おざなりにされがちなのが気になる。
私は何か自分が引用して利用するのであれば
元ネタを辿ることが「癖」になっているから
元ネタが有耶無耶で曖昧なものは
自分が調べて納得するまでは使えないです。
またネット上での「言葉の安易な再生産」には
コピペが当たり前のネットの特質というものがあるし
ボーダレスに果てしなく簡単に繋がれる世界で
確実に厳密にオリジナルを求めることは到底無理。
私は無理なものを求める気は無いし
大切なことは他人がどうであろうと
自分がどうあるかということだと思うから。
言葉では伝えきれないことだらけで
コピペが横行するネット上に書けることなんて
ほんの一握りのことだけで
言葉で表現しきれないことは
自分自身の生き方そのもので
表現すれば良いと思うから
大事なことは自分自身の在り方。
先に挙げた漫画「大奥」の
2人の医者のどちらの立場で
居たいかということ。
同じ言葉を受けた時に
どのように受け取れる人で
居たいかということ。
同じエネルギーを受けた時に
どのように受け取れる人で
居たいかということ。
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By mare*i, 2012- 05-11 (金) 00:08:28

先日からしつこく続く蕁麻疹。
痒い箇所に塗布している
アロマオイルのブレンドをメモ。
・スイートアーモンド油10cc
・カモミールジャーマン4滴
・ワイルドラベンダー2滴
今もまた痒い箇所が出てきたので
書き終わったら塗る予定。
カモミールジャーマンに含まれるカマズレンの効果に期待。
しかしカモミールに触れるたびにいつも思うんだけど
「カモミールの香りがリンゴに似ている」
というのはどうにも腑に落ちない。
リンゴ、リンゴと思いながら香りを確かめるけど
やっぱ違うよね・・・って思っちゃう(~ ~;
私だけかな???
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By mare*i, 2012- 05-10 (木) 09:51:04
一昨日ちょっと子供叱り過ぎてしまって
昨日はドヨ〜ンと落ち込んでました。
ダメだな〜精神修養が足りないわ〜と
凹んでいると無性に「手作り」したくなって
ビーズショップでビーズクロシェで作る
ネックレスのキットを買いました。
以前から興味があったビーズクロシェ。
レース糸にビーズを編み込みながら作ります。
手間ひまが掛かるので躊躇してましたが。
こういう気持がモヤモヤしている時には
ひたすら無心になれるものが良いなと。
キットに入っているビーズはガラスビーズ。
天然石も好きだけどガラスの質感も好き。
ビーズ針でレース糸にビーズを通して
レース針に持ち替えて編み網みして
ニッパーとヤットコでヨイショっと最後の始末して
できました♡

初めてのビーズクロシェにしては上出来じゃないかな?
出来上がってスッキリしたので朝風呂してたら
ただならぬ気配、っていうのかな?
有無を言わせないような厳しい気配の波動が来て・・・
今もちょっと余韻残っているけど。
自分に合った方法というのがあって
私は無心になれるだけじゃなくて
ついでに何か綺麗な形あるものが手に入るような
そういうモノが合ってる気がする。
山羊座と牡牛座が強いから・・・ね(^ ^;
ついでに私のホロスコープは対人関係系に
海王星的なものが多いのよね。
人に対する接し方ということで言えば
海王星がどうしても強いらしい。
そこにドラゴンヘッドまで絡んでいるんだから
これはもう仕方無い。
もう少し付け加えると今現在の課題は
山羊座と土星のケア。
2週間ほどしつこい蕁麻疹が続いていますが
食べ物にはあまり反応しないらしく
カモミールジャーマンを塗布すると収まる状態。
カモミールは蟹座と月。
山羊座の問題に対応するもの。
蕁麻疹が出た時のホロスコープを確認すると
土星のスクエアが効いてる模様。
月は土星のトラブルに対応するもの。
私の月は牡牛座。
だったら牡牛座の月を喜ばせることも
蕁麻疹のケアになるんじゃないかな。
な〜んて自分の好きなことやって
ストレス解消してるだけのことだけど
色々とこじつけて考えてみれば
それはそれで楽しかったりするよね(^ ^)
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By mare*i, 2012- 05-09 (水) 11:26:53
消費者庁、来週にも「コンプガチャ」違法見解(日本経済新聞 5/9)
ソーシャルゲームの問題は以前から気になってましたが
ようやく大きな話題になってきたみたいです。
私も某SNSでゲームちょこっとやってます。
でも課金には手を出していないですよ(^ ^;
やってるのは課金無しでそれなりに楽しめるゲームだけ。
「最初は無料だけどお金掛けないと続けられないゲーム」
はバカらしくなってやめました。
これを「バカらしい」と気付けるのは
ある程度の判断力と知識が無いと無理ですよ。
自分にも子供がいるから分かりますが
子供にはその判断は無理。
10年程前、単発ながら国の「IT講習会」の先生をしたり
公立小学校でのインターネットやパソコンの授業を
手伝う仕事をしたことがありますが
「ネットなんて小学生からやる必要無し」というのが私の持論。
ネットに触れるのは中学生、高校生ぐらいからで充分だと思う。
20数年前に実家にDOSのパソコンがやってきて
文系短大卒の母は仕事で使うために本読みながら
必要なプログラムを組んでました。
それでも充分必要なことは出来ていました。
今のあんな超〜簡単なパソコンをいじるために
「小学生のうちから慣れてなければ」
なんてオカシな話ですよ。
でも国は小学生のうちから
「インターネット教育」をやらせたいらしい。
何のために???と不思議。
子どもが時々
「ネットで調べなさいと言われた」
という課題を持って帰ってきますが
参考サイトも何も無く家庭に丸投げ。
子供に「検索」なんてさせても
どうせ時間の無駄なのは分かっているので
あらかじめ余計な広告宣伝無しに
一番効率良く目当ての情報に辿り着けそうなサイトを
ピックアップしてから見せます。
先生も何を考えてこんな課題を
子供に持って帰って帰らせるのかと
イラっとしながら、です。
小学生からの「インターネット教育」というなら
まずはパソコンやネットの中身や仕組みを説明して
理解させてからの方が良いんじゃないかな~?
どうやって動くものなのか
中身や仕組みを分かっていたら
ネットゲームのアイテム課金の
バカらしさや虚しさにも
気付くんじゃないかな~?
それだけじゃなくて資本主義社会の
仕組みそのものの解説も必要かな。
どうやって広告宣伝業は成り立っているのか。
消費者を誘導するために
どういうテクニックを使われているのか
子供のうちから教えておいた方が良いと思う。
そっちの方が「インターネット教育」より
よっぽど大事だと思います。
↑
日本の公教育では絶対にやらないでしょうが(^ ^;
あるいは本気で国を挙げてインターネットを
最大限に活用できる人材を育成したいなら
公立学校での英語教育を何とかするべきですよ。
↑
これも日本の公教育では絶対にやらないでしょうが(^ ^;
今の「インターネット教育」はただ単に
ネット上の消費者を増やすことしか
考えてないように私には見えます。
あるいはローマ帝国の「パンとサーカス」政策を思い出したり。
「パンとサーカス」by Wikipedia
パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)は、詩人ユウェナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。ガス抜きや愚民政策の例えとしてしばしば用いられている言葉である。
あの手この手の誘導が色々あるのは
何に関してもそうですけどね。
ポヤポヤ、ボンヤリして
変なモノに流されたり引っ掛かったりしないように
各個人の意識と知識をシッカリ持つべきと
私は思います。
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By mare*i, 2012- 05-01 (火) 13:24:59
蕁麻疹になっちゃって・・・と
某SNSなどでも書いてたら
私も私も〜〜〜という話が出てきて。
「今年の春のデトックスは大変」
と言ってきた人もいたんだけど
そういえば彼女もエラい目に遭ったばかりで
あの時は私も彼女には無理しちゃダメだよ〜
なんて言ってたっけ。
人のこと言ってる割に自分は平気で無理してたわ(> <)
私も今、蕁麻疹出ているよ〜
というママさんと電話でお喋り。
彼女も今年の春は妙にしんどくて辛かった〜と。
よくよく思い出してみれば
今年に入ってから春先まで
周囲にやたらとちょっと変わった体調不良や
普通は起きないだろう、という話が多かった。
そこで自分も気を付けなきゃと
意識しなきゃいけなかった気もする。
しかし私も今年に入ってから
マッサージ受けたり、整体受けたり
その他色々それなりに気にしてたつもり。
でも春先のデトックスはきつかった。
ド〜ンとやられちゃった。
いくら意識しても限界あるよね。
体調や気力の限界もあるし
時間的な限界もあるし。
だって「人間」だもん。
この数日は霊的な部分でもヤバくて
昨夜はまた悪夢見るかしらと寝付くのも怖かった。
とりあえず悪夢は見ずに起きられたけど
とにかく周囲からのヒーリングの波動が凄い。
寝付きばなと起き抜けに
周囲からヒーリングが来る時は
かなりエネルギー的に弱ってる証拠。
寝入りばなと起き抜けは「気」が
自分の体の中に収まり切ってない感じ。
彼方とコチラの世界の中間にいるような感じがする。
赤ちゃんも死ぬ間際の人も同じような感じなんだろうな。
私は覚醒していても横になった途端に「気」が
体から自由に動き出してしまうのを感じる。
自分の気が出て行くのも周囲から
入ってくる方も同様に自由になるらしい。
自分の気が弱っていると横になった途端に
周囲からの「ヒーリング」を感じる。
↑ちょっと端折り過ぎて分かりにくいかも。
もうちょっと細かく書いてみよう。
弱っている時に横になると
日頃「ヒーリングの波動」と呼んでいる気の動きが
周囲の「気(つまり霊気)」から自分に向けて
自然に(=誰かや何かの意志では無い)放たれるのを感じるわけ。
その「気」の動き(=波動)を受け止めながら
「気」とか「霊気」といったものには
自ずから自然にバランスを取る性質があるんだな
と感じる・・・と、こんな感じ。
もちろん周囲の存在や誰かの意志による
ヒーリングが来るのも感じるけど
横になった途端、と寝起きの覚醒した途端、
というタイミングで一番最初に感じるのは
自然からのヒーリング。
「ヒーリング」はその自然の動きを
人の意志で行なうことなんだよね。
「行なう」というよりは力のベクトルを作る、
或はその動きの流れる道を作るということ
ヒーリングって本質的には
それほど特別なものじゃなくて
誰かの幸せを祈る時、
誰かの回復を祈る時、
その気持が、ベクトルを、道筋を
作ることもあるんだな。
人だったら誰だって
スピリチュアルだとか宗教だとか
国籍だとか文化だとか
そんなものとは関係なく
誰だって「祈る」ことってあるじゃない。
だからね祈りの力って凄い。
どんな人だってね。
素人だろうと無神論者だろうとなんだろうと
人が人を想いやり祈る時の力って凄い。
だから大切に想える人がいることは
それだけで凄いことなんだ。
誰かの大切に想う人の話を聞く時、
それは必ずしも一般的な基準で言うところの
「幸せな関係」というわけには
いかない場合もあるんだよね。
年齢的なこととか
色々な条件があって必ずしも
普通の幸せな祝福された関係には
なれないこともあるんだよね。
それでも
その人達を取り巻く存在(亡くなった親戚とかね)が
その人達を祝福していることもあるんだ。
関係性は様々であっても
節度持って
自分の責任を全うしながら
心の底から支え合ってる人達を見てると
素敵だな〜と私は素直に感動するよ。
どのような関係であっても
そうやって心の底から
想い合える相手に出会えたなら
それは相手と巡り合わせに感謝するべきで。
その巡り合わせを導いてくださって
その巡り合わせを祝福してくださっている
目には見えない世界の方々を
私は知っているから
というか
私は知ってしまったから
ただ感謝あるのみだと。
そして「人」の存在意義って
そういうところにあるんじゃないかな?
と思ってる
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By mare*i, 2012- 04-30 (月) 10:13:15
先々週まで子供が発熱するとか
自分が慢性胃炎だの風邪だの何だの体調不良で
やっと先週になって落ち着いてきたのですが
体調不良が長引いたおかげで家中荒れ放題。
しかし家の片付けする暇も無く先週は予定が山積み。
体調不良で頭からすっかり抜けてた書類作成の仕事に
とどめに小学校の家庭訪問まであって
こりゃ大変だわと思いつつ何とかこなしてました。
先週中程から何となく体が痒かったんですよね。
お風呂入る元気も無く寝たこともあったから
汗で痒いかな?と朝風呂で体ゴシゴシしてたり
皮膚がデコボコして痒いのも
洋服の型が付いた所が痒いんだな〜と思ってて
・・・蕁麻疹だとは全然思わなかった。
金曜日にギリギリのスケジュールを
タッチの差で何とか無難にまとめて
家庭訪問も終わり、子供の送迎も終わり
晩御飯の支度でもしようかと思った途端に
皮膚のデコボコは蕁麻疹だと気付いた。
以前にも蕁麻疹になったことはあるし
冬には寒さの刺激か乾燥の刺激で
たま〜に出ることがあるから
蕁麻疹を知らないわけじゃなかったのに
「これは蕁麻疹じゃない。」と思い込んでた。
思い込みって凄いよね。
目の前に見えてるものも
体に感じているものも
頭で認識しない限りは
「無いもの」になるんだよね。
3日間ほど気付かず放置していて
連休に突入しちゃったし市販薬で何とかしようと
今は「十味敗毒湯」とか言う怪しげな名前の
(中身は怪しくありませんが)漢方薬を飲んでます。
慢性胃炎の時に内臓全体が弱ってる感じがあったし
エネルギー的にもかなりおかしな感じあったから
こういう時にちょっと無理すると
こういう事になるんだな・・・と。
色々と忙しいには忙しいけど
自分の体調を無視しなきゃいけない程の
予定の詰め込み過ぎは良くないね。
もうちょっと余裕持ってやらなきゃね。
というのが今回の反省点。
蕁麻疹は治ってきたけど
ピリピリ感と熱がこもった感じが残ってて
パパに子ども達任せて外出してもらって
私は1人で家の中でノンビリ休憩中。
今週末の連休はパパ実家への帰省があるので
体力、気力温存しとかなきゃいけないからね。。。(^ ^;
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By mare*i, 2012- 04-27 (金) 21:28:07
私が一番怖いのは「一人暮らし」すること。
今まで一度も一人暮らししたこと無くて
とても想像できない・・・(> <)
欝だとか体調が悪い時に
子供とパパだけでお泊りに行って
私一人で家に残ることもあったけど
自由は嬉しいけど怖いんですよね〜。
一晩中電気付けちゃう。
夜中に一人で起きていられるようになったり
夜中に一人でお風呂に入って平気になったのも
実は割と最近だったりする。
今まで恥ずかしくて誰にも言ってなかったのに
ついに先日「一人が怖い」ことが
パパと子供にバレて恥ずかしかった〜〜〜(> <)
話のきっかけは次男が
「夜中に電気消して寝るのが怖い」
と言ったこと。
「ママもそうだよ〜。」と話しているうちに
自分でバラしちゃったんだよね(> <)
それで考えていたんだけど、
パパの傍にいれば大丈夫だと思うのは何故かしら?と。
変なものが寄ってきそうにない性格なんだろうな〜とか。
とにかく体に悪いこと、不健康や不健全なことが嫌い。
間違ったことも嫌い。嘘も嫌い。
「不健全」なものを見聞きするのも嫌い。
たま〜にパソコンで何やら見てるのは知ってるけど
あんなの全然大したことないレベルだし。
私は独身時代にいわゆる耽美系とかアート系の
グロい映画をよく見てたけど
結婚時に嫁入り道具の中に入っていた映画のビデオを見て
「こんなもん見るな!」って嫌がってたよね(^ ^;
私には子供の頃から大学に入るまで
霊感のある友達が入れ替わり立ち替わり
必ず身近にいた理由も今なら分かる。
私って自分一人でいるのは
なかなか難しい人なんだな・・・って(> <)
おそらく頑張れば
ある程度は何とかなるはずで
自分でもそう思うから浄化法や
身の守り方習ったりしたわけだけど
体調が悪いのが長引いたり
用事が重なって忙しくなって
自分や自分の身の回りが構えなくなると
途端にこれだもんね・・・(> <)
今はとにかく家のこと、
特に子供の関係のことで忙し過ぎて
なかなか難しいわ・・・(> <)
いつか私が一人暮らしする時あるのかな?とか
そうなったらどうなるんだろう、なんて
一人で勝手に先のことを考えて
一人で勝手に怖いなぁ〜と思ってたりして
いい歳してこんな怖がりって
やっぱり変だよね。
恥ずかしい〜(> <)
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By mare*i, 2012- 04-24 (火) 14:19:39
私がほんの2、3年前まで「錬金術」という言葉には
何の興味も抱いてなかったのは
たぶん「錬金術」というネーミングが悪いんじゃないかと。
「アルケミー」をなぜ「錬金術」と訳したかといえば
「アルケミー」の中でも「卑金属を金に変える」という実験が
一番有名で分かりやすかったからだと思うけど
それで何だか妙〜な偏見が生まれて定着したんだろな、と。
「過去の強欲な人間が金を楽に得ようとして
愚かにも実現し得ない実験を人生賭けてやっていたんだって。」
「バカだね〜。」
みたいなイメージになってるんだな。
いつ誰が翻訳したのかな?とネット上を調べ中。
「金」という言葉が日本語では
「金銭」という意味に直結するから
余計におかしくなるんだと思う。
と思ってネット上を検索してたら
ネット辞書で面白い例文見つけました。
ネット辞書Weblilo「Alchemy」を含む例文集より
現代の日本で錬金術といえば、比喩的にしか使われない。モラルや羞恥心と無縁の政治屋や宗教家が、不正な手段でカネもうけをするときに。
In present day Japan, “alchemy” is only used metaphorically; to refer to improper means of making money by politicians or religious hucksters with no morals or shame. – Tanaka Corpus
この例文の通りだと思う。
だから日本では錬金術の地位が必要以上に低いのだろうと思う。
錬金術でなぜ「金」を得ようとしたかといえば
「高価」だから儲けたかったから、というよりは
金属の中でもっとも「高貴」だったから。
錬金術に関する当時の文章を読めば分かるけど
基本的には高貴なるものへの憧れが
錬金術の言動力だったわけ。
(単に儲けたかった人もいたかもしれないけど)
金属としての金を得るための錬金術は
アルケミーの中の一分野に過ぎなくて
全般的に言うなら「アルケミー」は「変容」術だと思う。
変容への憧れ。
より高貴な上質な存在への変容への憧れ。
高貴、上質、というものが何なのかといえば
それは何かとの比較というものではなく
その存在固有の可能性の中での最上の状態ということ。
最上の状態というのを
最も純粋な状態に求めた場合に
精製、精錬、洗練という方向性があって
精油は植物にそれを求めた結果得られたもので
人にそれを求めた場合にはどうなるだろうとか
そういう話なんだよね・・・・
「錬金術」という言葉からの連想で
「アルケミー」術というものに対して
長い間食わず嫌いになってたのは
勿体無かったな〜と今頃になって思って
本を読んでみたりしてるところ。
今の日本の学問とか文化的なものとか色々と
西欧からの輸入物、舶来物が多いのだけど
それらにまつわる歴史的なコンテキスト=文脈を
スルーしちゃって誤解だらけになってることは
其処此処にあるように見える。
スピリチュアルなんていうものも本来は
歴史的、文化的な文脈を踏まえないと
本来の意味は本当には
理解できないこと多いと思うんだよね。
そういうの見かける時って
何だかムズムズするんだなぁ・・・
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